えぬのざっかん

アラサーレズビアンの雑感/週末に更新する日記みたいなもの

ななじゅうよんこめ

 昔よりまして、聡明な人が好きだと思うようになった。

 

 昔から、賢い人は好きだった。勉強ができるできないではなく、応用が利く、一から十まで説明しなくてもいい、察しがいい、など、やり取りをしていて余計な労力を割かなくていい、疲れない人が好きだった。

 歳を重ねていくと、それが顕著になった。

 少し実家を離れていたせいか、母親の言動にとても疲れるようになった。昔から我の強い人は苦手だったのだけれど、一度距離を置くと、それが余計に目につくようになってしまった。こんなに一辺倒なことをいう人だったろうかと昔を思い返す。最近は母親となるべく距離を置くようになって、雑談の際でも、話題をなるべく選ぶようになった。

 

 ネット上の人間関係でも、ふっとした瞬間に、この人はだめだなと思ってしまう時があって、それで距離を置いた人もいる。とかく、人を傷つけるような発言には鋭敏になっているのか、それが何気ない気持ちでの書き込みであったとしても、普段からの考え方の違いを認識してしまって、もうだめだな、となってしまう。

 私が尊敬している人たちは、そういったことがないから、安心してやり取りができるし、タイムラインを眺めていることができる。私が、この人は大丈夫だなと安心して内側に置いている人たちは、たいてい聡明だなと思う。

 だからこそ、仕事が立て込んで疲れているようだったら声をかけたくなるし、ピークが過ぎればお疲れさまと労わってちょっとした贈り物などをする。好きな人たちが喜んでいると私もうれしいし、苦しそうにしていると、なんとか力になれないだろうかとすごく心配になる。

 

 大好きな、聡明な人たちが、心穏やかに毎日を過ごせるように祈って、タイムラインへあらわれるツイートを眺めていることは、私の穏やかな毎日に少しと言わず、寄与しているような気がする。